2011年3月11日、僕は年度末の業務を職場で遂行していた。
僕は、その当時もウェザーニュース社のサービスを利用していたので、全国で震度3以上の地震が発生すると僕のケータイにメールが届く。
震源から遠く離れた僕は、いつも以上に地震メールがやって来ることで、ようやく異変に気付く有り様だった。休憩中にTwitterのタイムラインを見ると大きな地震が東日本であったらしい…その程度の認識だった。
…テレビ画面に映った押し寄せる津波の映像を見るまでは。
圧倒的な質量とスピードで家屋や農地が海水に飲み込まれていく映像に僕は絶句するしかなく、波頭に時折炎を上げて見え隠れするものが人家であるという事実に恐怖しか感じない。海水の壁はまるで大質量のハンマーだった。
「東日本で大変なことが起きている!」距離が離れすぎ、実感を伴った情報が少ないので、そんな漠然とした事しか分からない。とりあえず、Google経由で日本赤十字社宛で義援金を送ったりもした。
その後、死傷者数と行方不明者数がどんどん桁数を増やして行き、原子力発電所の建屋が水素爆発で吹き飛び、レベル7という重大な原子力事故が発生した。
その後、一気に日本政府は迷走の度合いを強めていった。それでも、被災地では地道な復興作業が行われ、それは今も続いている。そして、どんなパニック小説も予想していなかった未曽有の大災害から半年が経過した。
…あれから半年。僕は東日本大震災によってかけがえない命を落とした全ての人の冥福と、平穏な日常を奪われた被災者の方々に再び幸福がもたらされることを祈ることしかできない…
…いや、義援金を送ることはできるな…この節目に。よし、できることをやっていこう…
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